コンテンツにスキップするには Enter キーを押してください

大震災の時のこと



3/11から数日経ってしまいましたが、今年も3/11の14:46に、東日本大震災で犠牲になられた沢山の方のご冥福をお祈りして黙とうをしました。

我が家は被災地からかなり離れているとはいえ、結構大きく揺れました。
ですが、全くと言っていいほど被害は出ませんでした。
棚の上にあったお菓子の箱が1つ落ちただけです。

あの時、イチコとニコは小学校3年生。
イチコは数日前から発熱しており、学校を休んでいました。
私は、そのことで休みが続いてしまい、3/11はおじいちゃんに頼んで出勤しようかギリギリまで迷っていました。
でも、イチコの熱がまた上がってしまい、心配だったのでもう一日休むことにしたので偶然にも家にいたのです。

病院の午後の診療が3時からだったので、眠っていたイチコを起こし、着替えをさせようと二人でベッドの上に座っていました。
するとグラグラと揺れだしたので、最初はイチコがベッドの上で揺らしているのかと思いました。
イチコはイチコで私が揺らしているのだと思ったようです。

地震だと気付き、すぐに近くにいたワンコを抱き上げ、イチコを連れておじいちゃんのいる部屋に行きました。
ワンコはブルブルと震えていました。
ちょうど下校時刻のはずのニコのことが心配になり、外に飛び出そうとしましたが、イチコがおびえていたので、おじいちゃんがすぐ代わりに見に行ってくれました。
ニコは自宅から数十メートルのあたりまで来ており、お友達とお話をしていたときに揺れたそうです。
無事で安心しました。
一緒にいたお友達も一度我が家の前まで来ましたので、うちに寄って行くか聞きました。
その子のお母さんもお仕事をしており、家にいないことがわかっていたので心配だったのです。
でも、その子も私もまだ事の重大さをわかっておらず、大丈夫だから帰るというので、そのまま帰しました。
ニコ達がいた場所から見える線路上の電車はグラグラと揺れ、そのまま止まってしまったそうです。

テレビを付けると、まだ何が起きたのか、どれほどの被害があったのかは何もわからない状況。
東北地方沿岸に津波が来る、という速報がありましたが、実際にあんなにも大規模なものがくるとは思いませんでした。

しばらくテレビに見入っていると、玄関がピンポンとなり、出てみるとさっき別れたニコのお友達。
「やっぱりコワイ」と言って泣いています。
余震が続き、家に一人でいたけれどこわくなってしまったそうです。
すぐに家に招き入れ、その子のおねえちゃんの携帯に電話をしました。
電話は通じず。話中になってしまうのですが、それが回線が使えない状態だということもわからず、何度もかけました。
その子のお母さんは保育士さん。
こんな時、わが子の心配をしつつも園児たちを最後まで親御さんに渡すお仕事があります。
後々、娘さんが私たち大人と一緒にいたことに安堵し、感謝されて泣かれてしまいました。
すぐにも家に帰りたい心境だったと思います。
こんなに被災地から離れた場所でさえもそれぞれ皆が不安と闘っていたのだから、現地でのことを思うと本当に胸が痛みます。

そうこうしているうちにダンナさんからメールが入りました。
自分たちの無事を伝えましたが通話はできず。

我が家はたまたま停電にもならず、テレビを見ることもできましたので、すぐ先のエリア一帯では完全に停電になっていたことも知らず、近所での被害は全くないものだと思っていました。
ですので、私はあの状況でものん気にもイチコを病院に連れて行こうとしたのです。
車に乗せ、病院の近くまで行くといつもと違う異様な雰囲気。
信号も何もかも消えており、かなりびっくりしました。
当然病院はやっておらず、すぐに家に帰りました。
きょろきょろしながら帰り道を戻ると、どこも電気は消えていました。

家に帰ると、どんどん被害の大きさが伝えられるようになり、事の重大さにようやく気が付きました。
数日すると遠く離れたベネズエラやカナダの友達からも連絡をもらいました。
世界中で報道されていましたので、心配してくれていたようです。

ダンナさんは帰宅難民になる寸前に知り合いの車に同乗させてもらい、夜になる前に帰ってきました。
その少し後に出た方は大渋滞となり、帰れなかったそうです。

我が家で起きたことなど、被災地の方々と比べたら全く痛くもかゆくもないような大したことではありません。

直後こそ、被災地にオムツを送ったり募金をしたりしましたが、私も含め、世の中ではだんだん恐ろしい記憶が薄れつつあるのも事実だと思います。

でも、改めて未だに避難生活を強いられている方々や亡くなった尊い命に心を寄せ、震災の記憶を風化させてはいけないと強く思います。
そして、自分たちでも教訓を活かした備えが必要だなと思います。
娘たちが高校生になれば今までより家族が散らばる範囲がだいぶ広くなります。
災害時にどのような行動をとるのか、改めて家族で話し合おうと思います。

そして今、自分にできることってなんだろうと思う毎日です。

↓ポチっとしていただけると嬉しいです
にほんブログ村 主婦日記ブログへ
にほんブログ村

日記・雑談ランキング



3 Comments

  1. あっか-(a11k5k8y1)
    あっか-(a11k5k8y1) 2017年3月13日

    Kinakororinさん、こんにちは。
    こちらの記事からですがイチコちゃんニコちゃん
    ご卒業おめでとうございます。
    親が思う3年間はやはりあっという間が一番の感想だと思います。私もそう感じます。でも思春期真っ最中の子供達は感情方が違いますよね。笑い、涙あり、、とても濃い3年間と感じるでしょう。

    我が家の娘も先週金曜に発表があり、、、残念ながら公立は不合格という結果でした。悲しいというより入試当日の帰宅後にさんざん号泣したので涙はありませんでした。私も一緒に高校へ合格発表を確認しに行きました。本人の希望で。兄貴のときは本人1人で高校へいったので私には初体験でした。
     結果、私立に進学が決まりましたがこの週末のバタバタ感は、、疲れました。kinaKororinさんのブログにもあったように、発表後が親の出番、、、。
    入学金の振り込み、高校での手続き。昨日の日曜には制服採寸用品購入、、。いやぁ、、お札が羽つけて飛びました
    まして女子は男子よりも制服などの費用が高い‼
    そして今朝は仕事行く前に銀行により口座開設の手続き。朝から並びました。
    今度の日曜は入学説明会と共に生徒はテストがあります。  まだ中学の卒業式、、あさってなのに、、。なんか余韻に浸れないなぁ。ましてやあさっての関東地方の天気予報、、⛄マ-クって、、

    話は代わり3/11は東日本大震災から6年の年でしたね。実は私の実家は被災県のうちの1つなんです。
    あの日、たまたま仕事休みで玄関掃除をしていたら揺れを感じ外へ。
    私自信が小学生の頃に大きな自信を経験してるので地震には敏感に育ってきました。
    すぐ向かいの空き地に避難するとご近所さんたちもぞくぞく避難してきました。揺れがおさまると子供達の事が気になり通学路を学校にむかって行くと集団下校の大群が見えてきました。
    娘はイチコちゃん、ニコちゃんと同じ小3年、兄貴は中1年でした。兄貴はどうにか動くだろう、、と考え娘優先でさがしましたがいません。焦りました、、。後に震災のあった金曜は書道の日で通学路途中の教室にいて保護されてました。
    娘、、普通に書道してたんです。
    あれから6年、、。私の実家は当日いえの建て替え中で更地だったため被害はありませんでした。でも近所のお宅は全壊、半壊の家があり私も2か月後1人で帰省したときには唖然としました。
    前年に亡くなった父のお墓参りにいきましたが墓石が崩れてる、、よくみるとうちだけじゃない、、。
    母や妹達に当時の様子を聞くと借りてた新築のアパートの揺れもすごくて外の駐車場で車をならべ一晩すごしたそうです。電気、ガス、水道も止まったまま。翌日、給水車がきて並んでるときにあの原発事故。私の実家は福島県なんです。
    ただ、海沿いではないので、津波被害はありませんでしたが、いまも続く原発事故の被害が大きくて。
    ただ当時は外部からの情報が地震により遮断されなにもわからなかったと。だから私がいくら電話してもつながらなかった。
    地震国、日本に住んでる以上自然災害はまぬがれないかもしれないけど被害を最小限にする訓練や予防は絶対必要なんですよね。
    すみません、、今日は本当に長文になってしまいました。そして被災地に募金や物質を送っていただいてありがとうございます。☺

    • kinakororin
      kinakororin 2017年3月13日

      あっか-(a11k5k8y1)さん
      コメント、卒業祝いのお言葉ありがとうございます☺️
      娘さん、公立は残念でしたが、入試後に号泣されていたということはきっと一生懸命頑張っていたのですね。お疲れ様でした!
      ニコもそうでしたが、自分で自分の結果って薄々わかったりするようですね。発表の日は涙がなかったとのこと、きっと気持ちを切り替えられたのですね!
      楽しい高校生活が待っていますように‼️
      そして、明後日の卒業式、おめでとうございます!
      雪マークのようですが、なんとか変わってほしいですね。もし雪でも関東では貴重な雪の卒業式も思い出に残るかもしれませんね!

      震災のお話…あっか-(a11k5k8y1)さんのご実家、福島県だったのですね。
      ご家族も色々と、大変だったことと思います。
      福島県は津波の被害に加えて原発事故の被害もあり、県民の方の苦しみ悲しみは計り知れないものがあると思います。
      ご家族の体験、お父様のお墓のこと、心が痛みます。
      私たちにできること、まだまだあるはずだと思うのですが、実際に思い切った行動に移せない自分が恥ずかしいです。
      娘たちに手がかからなくなってきたので、再び自分がするべきことを考えないとですね。
      お話ししてくださってありがとうございます。

      追伸
      誤字脱字は私もしょっちゅうです!
      伝わるので大丈夫ですよー!

  2. あっか-(a11k5k8y1)
    あっか-(a11k5k8y1) 2017年3月13日

    すみません。読み返した文、めちゃくちゃですね。自信-自身です。
    まだあるかも、、kinaKororinさん想像して読んでくださいね。

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください