Every day is a new day

感謝の宴



昨夜、1階のおじいちゃんおばあちゃんに、ひとまず義務教育を終えた娘たちから感謝の手料理をふるまいました。
初の孫たちの手料理、美味しい美味しいと喜んで食べてくれました。

思えば、同居する義父母にはここまで本当にお世話になっています。

結婚して割とすぐに妊娠したため、ダンナさんと二人きりの新婚生活はたったの1年間のみ。
最初は、ダンナさんの実家での同居が嫌だと思っていた私。
かといって、住んでいたアパートにいきなり赤ちゃん二人連れて戻るのも、夜泣きなどで近所に対して気を遣うし、私が仕事ができないので、家賃を払うのも大変。
義父母が一緒に住もうと申し出てくれたので、もともと簡易二世帯の構造になっていた今の家に住むことになったのです。
ちなみに玄関は一緒ですが、キッチンやお風呂は別々です。

それでも、一卵性多胎児なので妊娠7カ月目から2カ月間の管理入院が決まっていた私は、ギリギリまで引っ越しを延ばし(入院前日!)、出産後は2カ月程実家に帰っていました。
本当は3カ月程実家にいたかったのですが、当時私の両親はまだバリバリに仕事をしており、帰ってから双子の孫の世話を手伝ってもらうのにも限界があるなと感じたので、予定より早めに戻りました。

子供二人を連れていきなりの同居・・・正直、当時の私はなんとか自分の力で双子を育てるんだと、とても肩に力が入っており、二人が同時に泣いて大騒ぎになっている時、見に来てくれた義母に「大丈夫ですから!!」と言って頑なに手伝いを拒否してしまったりもしました。
ですが、ダンナさんは仕事で帰りが遅かったので、まだ首もすわらない状態の双子をお風呂に入れるときは一人ではなかなか難しく、睡眠もろくにとれない状態が続いて、徐々にお手伝いをお願いするようになっていったのです。

2、3歳の頃はひたすら甘やかす優しい義父母にイライラした時期もありました。

でも、初孫であるイチコとニコのことは二人とも本当に可愛がってくれて、今でも沢山の愛情を注いでくれています。
義母は自分の兄弟も全員男性、自分の子供も男二人だったため、イチコとニコと私の女三人が家に来てから家の中がパーっと明るくなったと、とても喜んでくれました。

義母はまだパートで働いているのですが、義父は退職してから家にいたので、まだ仕事を始める前の私とイチコとニコの4人で買い物に行ったり、公園に連れて行ったりしてくれました。

その後、私が仕事を始め、保育園に入り、小学1年生までは学童保育のお世話になっていました。
小学2年生の夏頃、義父が完全に家にいるようになり、学童保育もやめて、放課後から私が家に帰るまでは義父がおやつを用意してくれたり、面倒をみてくれるようになりました。
高学年にもなると、友達と遊んだりでおじいちゃんと一緒に過ごすことも減りましたが、それでもおじいちゃんにとっては可愛い孫たち。
中学を卒業した今でも毎日おやつを持ってきてくれるそうです。
お年頃の娘たちはあまり甘いものを食べなくなってきており、私が帰るとそのおやつが残っていて胸が痛むことが何度もありました。
胸が痛むので私が食べたり(笑)

せっかくの好意なので、なかなか「もうおやつはいいです」と言えなかったのですが、高校入学を機に、おやつは卒業しようかと思います。
もちろん、言いづらいことはダンナさんから言ってもらうのですが。

前置きが長くなりましたが、そんなわけでかなりお世話になっている義父母に、孫たちから感謝の気持ち。
イチコとニコも優しいおじいちゃんおばあちゃんが大好きです。

お正月、G.W.、夏休みなど、年に何回かはお互いに料理を持ち寄って一緒に食事をするのですが、今回の義父母は格別に嬉しそうでした。
高校生になるとますますおじいちゃんおばあちゃんからは離れてしまうと思いますが、変わらず見守ってもらいたいと思っています。

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