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双子育児のこと⑦退院まで



出産までの話は→こちら

こうして無事に生まれた二人ですが、翌日から早速忙しい日々が始まりました。
あ、翌日はまだちゃんと動けなかったので正確には翌々日からですね。

本当は翌日には歩いて、個室を出たかったのですが、なんせ体調が悪かったのでなかなか動けず、個室にもう一泊することになりました。
入院中、あまり関わったことがなかったある看護師さんから「帝王切開なら翌日からみんな歩いているけどね」とチクリと言われて凹みましたけど。
私だって歩きたかったですよ~。
でも体が言うことを聞かず、思い通りに動けなかったのです。
逆に歩こうとして廊下にいたら他の看護師さんたちからは心配されました。

そんな状態でも出産した日から授乳はしていました。
初日は練習と言う感じでしたが、二人ともうまく飲めているようで安心しました。
しばらくの間、二人とも帽子のようなものをかぶせられていました。
さらにニコは小さかったので、体温調整が難しく、アルミシートのようなものにくるまれていました。

そして翌々日にはようやく普通の4人部屋にまた移りました。
傷が痛みましたがなんとか歩けたのでゆっくりゆっくりと。
この日から本格的にお世話をしますが、最初のうちは一人ずつ順番と言われました。
その間、もう一人はナースステーションで看護師の皆さんにお世話になっています。
ナースステーション前を通るとあの研修医の先生がうちの娘を抱っこしてあやしてくれていました。
本当に感謝です。

実は「イチコ」と「ニコ」はお腹にいるときにこの病院で看護師さんたちに呼ばれていたあだ名なんです。
正式に名前が決まるまでそう呼ばれていましたが、生まれてからは二人まとめて「kinakororinちゃんズ」と呼ばれることもありましたね(笑)

沐浴の練習はイチコから。
ダンナさんも挑戦していました。
ぎこちなくて危なっかしかったですが、私も同じでした。
とにかく小さくて怖くて。

二人交代でのお世話をしながら、徐々に二人一緒のお世話をするようになり、授乳室には二人を一つのコットに入れてガラガラと移動していました。

授乳方法はラグビー抱きという方法で、二人同時です。お腹に半ドーナツ型のクッションを挟み、二人を乗せて抱えながら同時です。
最初のころはこれがなかなか難しくて苦労しました。怖くて怖くて。
実際、入院中一時同室だった二卵性の双子ちゃんを産んだお母さんが一人を落としてしまいました。
赤ちゃんは頭を打ってしまったようですが、幸い大事にはいたらなかったそうです。
そんな話を聞いたものだから過剰に慎重になっていました。

最初は深夜はゆっくり休めるようにと看護師さんがみてくれていましたが、順番に深夜も世話をし、ある時から二人同時に夜中も一緒に寝ました。
これからはそうなるのですから慣れないといけないですよね。
うちの二人の鳴き声は生まれたときとは違って、かなりか弱く小さく猫の鳴き声のようにフニャフニャしていましたが、そんな小さな声でもすぐに目が覚めるものですね。
他の同室の赤ちゃんは激しく泣いていたので逆に弱すぎるんじゃないかと心配になりましたけど、そのうち力強く泣くようになりました。

二人が生まれて数日経ったある夜、ダンナさんからメールが届きました。

「アメリカが大変なことになっているよ」

テレビをつけると、あの9.11同時多発テロが起きていました。
その時はまだ詳細が分からず夜中ずっとただただ中継やニュースを見ていました。
翌朝、同室の人に話すと皆知らなかったようです。その後はご存知の通り大騒ぎでした。
イチコとニコは当初はこの日に手術の予定だったんですよね。
すごくショックを受けながらニュースにくぎ付けになっていました。

出産後の体調はというと、やはり血圧が180を超えていたらしく、めまいなどの自覚症状がないのか何度も聞かれましたが、私自身はまったく何も感じていませんでした。
ただ、利尿作用のある血圧の薬を処方されていたので、とにかくトイレに行く回数が増え、一回の量も相当でした。
量をはかる500mlの計量カップを渡されましたが、おさまりきらなかったほどです(汚い話でスミマセン)。
それぐらいむくんでいたのですね。そしてみるみる体重は減って行き、自分がヒュルヒュルとしぼんでいく感覚がありました。
あっという間に妊娠前よりも体重が軽くなりました。
2カ月以上も病院の中でゴロゴロしていたのでそりゃ筋肉も体力も落ちますよね。

当時、一般的に帝王切開の場合は7~10日程度で退院可能との話でしたが、なかなか退院の話が出てきません。
一体いつ退院できるんだろう?と思っているうちに周りの人はどんどん退院していきます。
1週間過ぎてもなかなか退院の話もでないので、看護師さんに聞いてもなんとなくちゃんと答えてもらえず。
ある日、看護師長さんに
「退院っていつぐらいですかね?」と聞いてみました。
すると、
「あら、まだいいじゃない。まだしばらくいてよ~」
なんて言われましたが、自分の体調に問題があるのかもしれないと逆に心配になりました。
結局担当医といろいろ話して12日目には退院できることになりました。
なんだったのだろう?やっぱり高血圧を心配されていたのでしょうか。
私の母も祖母も高血圧なので、遺伝?
でも私の場合は高血圧は出産直後だけで、今のところはその兆候は出ていません。

退院の日、ダンナさんと両家の母が来てくれました。
生まれてから少しすると体重が減るとは聞いていましたが、退院時のニコの体重は1800g台。
救急対応のNICUがある病院ですので、私が知っている限りでは600gや800g、1000gほどで生まれて、NICUにしばらく入院している赤ちゃんも沢山いましたので、その子達に比べたら大きな方だったのでしょうが、私にはやっぱり小さく感じて、そのままチャイルドシートに乗せることがとても怖かったことを覚えています。

ちなみにイチコは割と髪の毛もフサフサしていたのですが、ニコは薄くてたこ八郎さんみたいでした(笑)

こうしてイチコとニコはしばらく私の実家で過ごすことになりました。

つづく

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