先日会社で、人事異動の話がありました。
40歳ぐらいの男性が、私がいるチームに異動してくる話なのですが、その理由・・・
奥様が育児ノイローゼになってしまったそうです。
ノイローゼという言い方はなんだかあまり好きではありませんが、上司はそう表現をしていました。
彼のチームはとにかく出張が多く、ひと月のうち、一体何日泊まりでいないのかという部署なんです。
1週間まるまる出張ということもあるようです。
そして、5歳、3歳、1歳ぐらいの3人のお子さんがいるそうで・・・
それは大変ですよね。
3人の小さな子を抱えて、夜中も一人で育児、ということが続けば疲れます。
出張先に電話をしてきて、様子がおかしいと感じたり、危ない発言もあるようです。
子供に当たってしまうことも多々あるようで…ちょっと心配な様子らしいです。
病院にも行き、お薬を飲んだりしているようですが、周囲のサポートが必要です。
会社もその話を聞いて、すぐに動いたそうです。
とにかく、育児が落ち着く数年先までは出張のない私がいるチームで仕事をさせる方針のようです。
こういう点についてはなかなかいい動きをする会社なんですよね。
日頃はいろいろ「?」という点があるのですが。
近いうちに異動してくるようです。
私が気になったのは、その話を聞いた上司たち。
3人いるオジサン(ほぼオジイちゃん)達の会話
みんな優しくていい人たちなので、口々に理解を示すようなことは言うのですが、その後に
A「うちも子供3人いるけど、大丈夫だったけどねー。まあオレその頃は出張なかったけど、特に育児手伝わなかったしなぁ。」
B「うちも3人だよ。カミさん、平気だったな。オレ遊んでたしな~」
C「うちは二人だけど、オレは年単位で海外長期出張だったから大変だったよ、うちの奥さん。結果、一人で全部やってママ友関係でトラブルがあって精神的に病んでしまったよ」
AさんもBさんも悪気のない会話なのですけど・・・どこかで、「ノイローゼになるなんて…」と思っている気持ちが見えてしまいます。
思わず、
「でも、毎日ひとりだけで夜中もひとりだけで小さな子供を3人みるって大変だと思いますよ。私だって二人だけど、早く帰って来てって毎日思っていましたもん!」
って言ってしまいました。
AさんもBさんも、もうお子さんたちが完全に成長されて結婚もされて自立していますから、お子さんが小さな頃の奥さんの苦労、忘れているのか知らないのか。
Cさんだけは今も引きこもり気味の奥様の様子をすごく気遣っていて、日頃から大切にされています。
ですので、異動する彼の奥さんのこと、とても心配しています。
育児が大変じゃないわけありません!
「うちは平気だった」というのなら、知らなかっただけだと思います。
積極的に手伝ってくれなくても誰かが毎日近くに「いる」という安心感。一人ではない、何かあったら助けてもらえる、という存在がどんなに大きなものか。
毎日いろんなことと向き合って、楽しいことも嬉しいこともあれば、腹が立つことも山のようにある、泣きたくなることもある、理不尽なことと向き合わなければならない思春期や反抗期だってあります。
彼らの奥さんたちも、それを乗り越えて今があるのだってこと、忘れてしまっているのでしょうね~。
世の中にはシングルで頑張って育児をしていたり、もっと大変な思いをしているお母さんもいると思いますけど、一人ひとり状況も違って性格も違って。
なので、育児ノイローゼになるのがまるで「弱い」からだと思われるのは同じ母として悔しいなって思います。
そういう理解の無さが人を苦しめることだってあるのにな・・・
私がいるチームには、同じく4歳、2歳、1歳の3人の女の子がいる30代の男性がいます。
彼も、毎日育児をサポートするためにほとんど定時で帰ります。
彼自身は本来、亭主関白、男性は金を稼ぎ、女は家庭を守る、みたいな考え方の人で、最初は面食らいましたが、今ではやむを得ず?育児を頑張っているようです。
ですから、ここのチームに来れば毎日早く帰ることは可能なんですね。
なんとかこの大変な時期を乗り越えて、異動してくる男性の奥さんに笑顔が戻るといいな、と思います。
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Kinakororinさん、今日のブログ読んでうわっ-と思いました。3年前に他界した義母、4年前に他界した義父の子育てに全くにてました。ま、息子が主人なんですが、、、ややこしい紹介になりました。笑 義母は専業主婦、義父は会社員でしたが、当時は(昭和40年代)義父は家庭を省みるような状況はないくらいの仕事人間で営業畑出身でしたから海外出張も年に何度かあり子育ては義母任せ。
子供は主人を筆頭に妹2人。上の妹は私と同い年。下の妹はそこから4つ下。3人の子育てに毎日奮闘し続けた義母は大変だったようですが、いつしか精神的に追い込まれます。
主人の記憶では小5、、6くらいの時は父親不在か当たり前で母がよく怒って物が飛んできた⁉とか。子供は好きな義母だったそうですが、子育ては毎日、、24時間ほぼ1人ででしから、、。
入院したこともあったと。義父も全てを義母に丸投げしてた訳ではないので、学校の行事などにいけるときはいったり家事も不器用ながら手伝ったりはしたみたいですが、、数えるくらいしかないそうで。
今は理解できる心の病も昔は精神病⁉のひとくくりて見られ周りにも理解は難しいものでした。
主人と結婚した21年前、、私にも義母のおかしな言動、行動を目にします。
今は聞きなれた病名ですが、、躁鬱病でした。
これは本人の思いと周りの思いの違いがあきらかでした。夏場に攻撃的な状況になり冬場には引きこもりかと思うほど消極的になる、、。
いろいろあったのでしょうが、さかのぼること、、うん十年前の子育て期間の義母の精神状態が、かなり影響してたかもと医師から説明を聞いた主人は言いました。元来の性格も重なり、、。
晩年は義父は義母にずいぶん迷惑かけたことで毎日夫婦仲良く過ごしているようにみえてましたが躁鬱病は酷くなるばかり。薬も処方されてましたが、、飲まないんですよ、、。夏場のような時は、、。
3年前に別の病気がみつかるまではとにかくまわりがふりまわされました。わたしもケンカしましたよ。二度と顔を見たくないと思うようなことされましたし。実家の親のことも見下げるようなこと言われました。
それから4年くらいは私だけは義母とは顔をあわせてませんでした。病気とはいえ私は傷つけた言葉を浴びたので私のなかで線引きをしたんです。
そのあと義父が倒れ亡くなくなるまで2年、、義母も私に和解を求めてきました。1人ではどうにも何も動けないと。主人も動いてはいましたが平日なにがなんでもあって対応するのは嫁である私。妹達もそれは感じてました。義姉の私が動いてくれないと、、自分達は県外にいるから母のことお願いできないと。割りきって私も義母の介護手続きしたり病院の対応したりしました。
最後は病院で亡くなりましたが子供達3人と我が家の息子、娘である孫に看取られて。
躁鬱の症状がでていた時は本当に顔も、みたくなかったけど別の病を発症してからは顔が穏やかでした。義母の人生を聞いてて子育て期間の夫婦の関係って大事だなぁって。旦那さんの子育てに関わる姿勢は奥さんに凄く影響するなって、、。
皮肉にも我が家の主人は気づいたら子育てに参加させられてた⁉..親子とはいえ義父と主人はタイプが、、いや、時代もちがった、、。なんかまとまりのないコメントと長文でごめんなさい。
誤字脱字、、いつもの事ですみません
あっか-(a11k5k8y1)さん
いつもありがとうございます!
ご自身の経験談、教えてくれてありがとうございます。
義母さんも大変だったのですね。
その時代も私の上司たちの時代も、今みたいに「イクメン」なんて言葉もなく、男は仕事、女は家庭、みたいな世の中だったのもあるのでしょうね。
私の父も仕事人間&自由人で母は苦労したと思いますが、やはりそこはいろいろな性格の人がいて、飄々とこなせる人、必死になって追い詰められてしまう人、いろいろですものね。真面目であればあるほどつらくなってしまうこともあるでしょうし。
躁うつ病の原因の一つが子育て期のこと、となると義父さんも責任を感じてしまったのかもしれませんが・・・
難しいですね。誰も悪気もなく、それぞれ頑張っていたのですからね。
あっか-(a11k5k8y1)さんもそのことでおつらい思いをされたようで・・・
最期、和解できて家族に看取られて義母さんもお幸せだったと思いますよ。
時代は変わっていき、心の病に対する理解や、育児や仕事との両立や、昔とは周囲の見方も変わっていますから、会社の人の奥さんが穏やかに乗り越えられることを心から願います。
ちなみに・・・うちの主人も、「双子」とわかった時から覚悟は決めていたようで、母乳をあげること以外は普通にできるイクメンでした。なんなら私より丁寧なぐらい(笑)
私が疲れきって起きられない時も、夜中に娘をあやしてくれていた姿をよく覚えています!感謝しないとですね。父親、母親、お互いにですけど。
自分も、昔はこうだったとかそんなことガマンしたとか自分の時代の話に固執せず、これから時代の流れを見ながら理解できる人間にならないとな~なんて思ってしまいました。