1995年1月17日、阪神淡路大震災の日、私は早朝、自宅のテレビでニュースを見ていました。
関東方面には情報がまだあまり入ってきておらず、あんなにたくさんの犠牲者が出るとはわかりませんでした。
父はあの地震の少し前まで神戸市の灘区で単身赴任生活をしていました。
学生だった私は友人と共に何度も遊びに行きました。
地震の日はもうすでに父も自宅に戻って生活していたのですが、任期があと少し延びていたら父も被災者になっていたと思います。
そう思うと他人事には思えなかった。
神戸市内に住んでいた従妹のマンションもかなり揺れて、食器類はすべて割れてしまったとのこと。
震えながら号泣していたそうです。
時間が経つにつれて被害の大きさが明らかになり、とても恐ろしかったことを覚えています。
大地震なんて、当時の私にとっては「関東大震災」という昔の話のようなもの・・・
もちろん、それまでにも、大変な被害が発生した地震があったこともありましたが、「大震災」という言葉がこわくてこわくて・・・
高速道路から落ちそうになって踏みとどまることができたバスの写真、崩れた高速道路、ぐちゃぐちゃになってしまった神戸の街並み・・
何度も訪れていた街の状況を見ることがとてもつらかったです。
当時学生だったので、毎日ニュースを眺めては涙を流すしかできなかった私。
後で知ったのですが、友人はボランティアに行ったそうです。
なぜ、あの時自分は行かなかったのか・・・
後でとても悔やみました。
できること、もっとあったはずなのに。
自分の行動力のなさを今でもとても恥ずかしく思います。
毎年、この時期になると、震災時の体験談や後日談等を見かけます。
毎年涙が出てしまいます。
安田大サーカスの団長さんも大切な友人を亡くされたというニュースを見かけました。
26年前のこと、今でも被災者の方々にはまだまだ深い傷として残っているのだということが毎年改めてわかります。
自分の誕生日の翌日ですから、楽しく過ごした翌日にはこの災害を改めて思い出し、はっとさせられるのです。
世界中がコロナのせいで大変なことになっている今、追い打ちをかけるような自然災害という脅威が襲い掛かってこないことを心から願います・・・
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